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東日本大震災に関する情報

森田敏文(徳島市民病院)


<はじめに>
 平成23年、この「311」の出来事は戦後最悪の事態であり、日本だけでなく世界でも大きく捉えられ日本国民の心の大きな傷となった日です。この事態に対応するため石巻エリアの救護、医療支援をするのに編成されたのが徳島県医療救護班であり、その第24陣の一員として活動してきた事をご報告させていただきます。徳島県として、第1班が3月16日より派遣され、私が派遣された第24班は発災からすでに約2ヶ月が経過しておりました。そして、第24班は7名で編成され、ほぼ全員が徳島市民病院の職員であり、徳島市民病院としてもこのような事態に様々な職種が集結し、他県で医療を提供するという初めての試みでありました。


里見 悠(徳島県医師会事務局職員)

 平成23年5月18日(水)から22日(日)まで徳島県の医療分野の被災地支援チーム第22班が、東日本大震災で被災した宮城県石巻市万石浦中学校へ向け出発した。


橋本吉弘(木下病院)

1.はじめに
 5月22日夜、徳島空港へ帰ってきたとき、飛行機の窓から見えたきれいな工場の建物や整然と並んだ車列に違和感を感じました。わずか5日間でしたが、被災地の光景に慣れ始めていたのですね。我々7名(医師2、看護師2、薬剤師1、理学療法士1、事務1)は災害派遣ナース2名とともに、5月18日から22日まで宮城県石巻市万石浦中学校に徳島県医療救護班の第22班として派遣されました。地震発生から約2ヶ月経過した状況報告になります。


大塚明廣(大塚内科)

 この度の東日本大震災は、発生から2ヶ月半たった現在も、その傷痕はほとんど癒されていない状態です。私は医療救護班第22班の一員として、5月18日~22日までの5日間、宮城県石巻市で救護活動を行って来ました。その活動内容についてご報告致します。


三村誠二(徳島県立中央病院)
 
 平成23年3月11日、東日本大震災が発災、それは日本人にとって忘れられない日になりました。アメリカの同時多発テロは9月11日で、奇しくも11日が共通。アメリカが「911」なら日本は「311」が国民の心に刻まれた数字となりました。アメリカでは危機管理が911を境に激変したと言われていますが、日本でもこれを契機に様々な危機管理の方法や概念が変わっていくと思います(ちなみに関東大震災は9月1日、阪神淡路大震災は1月17日で、11が重なったことは単なる偶然)。すでに徳島県からも様々な形で現地への支援がなされており、医療関係者も沢山の方々が支援に行かれました。また、直接入らなかったとしても、後方支援や援助物資、情報等、支援に携わった方は数多くいます。この誌上でも医療救護班の報告が何度かなされており、概要は皆様ご存知のことと思います。重複する点があるかもしれませんが、私なりの視点から思いつくまま書いてみました。


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